追手町小学校「奇跡の歌声」のテープについて
(テープ入手後、関係者に送った手紙です)

 ここ数ヶ月以上探していた待望の音楽テープ、昭和31年、飯田市立追手町小学校がNHK全国学校音楽コンクール(合唱)で優勝したときの「奇跡の歌声」が手にはいりました。ここに、入手までの多くの方々のご厚意に感謝し、経過を記してテープ・コピーをお届けします。
 入手までの経路をたどってみると、こんなふうになります。

●1999年6月ごろ、私がたまたま聞いていたNHK・FM放送で、飯田市立追手町小学校が全国合唱コンクールに優勝したときの課題曲「わかいおじさん」の録音を聞いた。40年以上も昔のことで、当時私は中学3年生だったが、どこで聞いたかなぜか脳裏にとどまっていて、いまでもときおりふと口をついて出る大好きな曲であった。改めて優勝当時の同校の子どもたちの歌声を聞いたら、あまりのすばらしさに、録音の入手を思い立つと同時に、当時の関係者の話を聞きたくなった。
●このころ東京四谷の会員制カラオケパブ「枇梠香」(ひろか)を経営する三善浩子氏にこの話をしたら、偶然にも同氏が兵庫県芦屋市の小学校時代に、この課題曲で近畿代表になったが全国審査(当時はテープ審査)で破れた悔しい思い出があるという。歌ってもらうとほとんど完璧に覚えていて、当時は聞けなかった優勝校の歌は、自分たちよりどれだけ上手かったかぜひ聞いてみたいとのことだった。
●そこで、飯田市出身で関東在住の飯田高校同期、河尻高明、井伊健夫、平出裕子君らに情報収集して、当時の関係者探しを相談した。
●同じ高校同期で飯田市在住の三浦昌夫君は、高校時代合唱団のリーダーだったので情報に詳しいと考え、電話で協力を要請したら、追手町小学校関係者に当たってくれることを約束してくれた。
●同年8月16日、高校同期会40周年会場で、井伊君からやはり高校同期で名古屋在住の塩入佳孝君が有力情報を持っていると聞き、塩入君と話をしてみると、同君の妹さんが同小学校で当時合唱団に所属していたことが判明。同君にテープの入手を依頼した。
●一方、三浦君は、現在の同小学校音楽担当・熊谷典子先生にいろいろ聞いてくれた結果、優勝当時の指揮者・山中邦夫先生は平成7年に他界され、テープなど音の記録は見あたらないが、当時の楽譜と歴代の優秀校のリストなどの資料があるということで、8月20日三浦君経由で、楽譜などを送ってもらった。私はこの楽譜をもとにコンピュータ音による二部合唱を合成してみた(同封テープB面)が、もちろん「奇跡の歌声」には程遠いものでしかなかった。
●同年秋、塩入君から何度か連絡があり、12月になって当時ピアノ伴奏を担当した宮下公子(旧姓山口)先生が、飯田市上郷別府にお住まいであると紹介された。
●宮下先生に電話をしたところ、いまもお元気で各方面の合唱指導をなさっていて、しばらく前に、当時発行された優勝校の歌を収録したレコードを保存している人がいて、その歌をテープに録ってくれるという話があったという。そこで宮下先生に、ぜひ私もコピーをいただきたいと依頼した。
●暮れも押し詰まった12月29日、ついに待望のテープが宮下先生から届いた。まさにこの歌声だった。仕事をそっちのけで何回も聞いた。妻や娘たちにも、買い物につきあう車の中でずっと聞かせ、一人になると感動の涙が止まらなかった。

    宮下先生からは、いろいろ当時のこともうかがった。21人の生徒と山中先生のこと、生徒の中には6人の男子がいて、このボーイソプラノがとてもきれいだったこと、生徒たちのその後のこと、この奇跡の歌声が彼らの人生にどんな響きを残してくれたか、等々、聞いているうちに、私は時間ができたらぜひじっくり一人一人を取材して、追跡ドキュメント『伊那谷が生んだ奇跡の歌声……その四十余年の残響』を書きたいと思った。
 奇跡はそれだけではなかった。私に決定的とも言える影響を与えてくれた小学校時代の恩師・坂本絢子(旧姓今村)先生は、宮下先生の大学(信大)時代の友人だった。坂本先生は、私たちを小学校から送り出すと同時に東京に出られ、今、これまた偶然にも私の家の近くに住んでおられる。宮下先生とこのテープのお陰で、坂本先生ともしばらくぶりに話ができた。これまた「奇跡の歌声」がもたらしてくれた感動である。
 本当に、皆様ありがとうございました。宮下先生のご了解を得、感謝を込めてテープをお送りします。
           2000年正月  福島茂喜



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